厚切りトーストをたべあるいてみたその先の世界

コロナでやめてしまっていたカフェ巡りを再開。厚切りトーストを求めてお店に入ったら、何か違った発見も?色々掘り下げてまいります。

パンの世界史 コメ文化の日本でパン文化も根付いたきっかけとは?

 

 

目次

 

 

偶然なくして今の時代、美味しく食べられるパンの誕生はなかった??

 

パンの起源は、紀元前8000年ごろ。そんな駄洒落で語るような軽さではない、今から約1万年もの前から歴史を刻み続けてきたという、ふわふわ感に似つかわしくない重みまで覚えます。

 

その頃、世界最古の文明が発祥した地といわれるチグリス川とユーフラテス川の二つの大河の間で栄えたメソポタミア文明において、パンの原料となる小麦が栽培されていたといわれていますが、当時はまだ粒のまま炒ったり、お粥にしたりといった形で食べられていました

 

紀元前6000年ごろになると、小麦を粉にして水を加えて焼くガレットのような形で食べていたといわれ、この頃がパンの元祖にあたるといえそうです。

 

その後、紀元前3200年~200年の古代エジプトで、ガレットのような無発酵パンが伝わり、以降発酵パンが誕生

しかし、今やパンのみならずお酒の醸造などでも切っては切れない発酵は、偶然発見されたものであるといわれています。

ウッカリか、わざとか・・・までは判りませんが、生地を一晩放置していたら、野生の酵母が付いてふくらみ、翌日にそれを焼いて食べてみたら美味しかったことから、発酵させてから焼くという製法が生まれました。

 

ただ、いくら偶然から生まれたものと言われているとはいえ、当時の人々はこの発見を「神からの贈り物」とまで呼んでいたようですから、その発見は自分たちのものだけとし、他の地域には広めようとしなかったようです。

確かに、今のこの時代においても欠かせない技術ですから、現代のように物や情報があふれていない時代においては、秘密にしておきたい気持ちも理解できるところはありますね。

 

 

パン文化の浸透にはいつの世も戦争が背景に・・・

 

そこから時代は進み、古代エジプト古代ギリシャに征服されます。そして穀類の輸入を行い、併せてパン製法や焼き窯なども伝わるようになり、パン職人も連れてこられました。これが紀元前700年から5世紀にかけて、長きに渡ってパンが生活の一部として浸透していきます。

 

元々ワイン作りが盛んだったギリシャには、酵母培養技術が高く、そのままパンの安定生産に繋がっていましたが、その古代ギリシャ古代ローマに滅ぼされてしまいます。

 

古代ローマは好戦的で、多くの戦争を行ってきました。その時に、日持ちがよく、持ち運びも容易だったパンが兵士の食料として重宝され、パンの製法も格段に向上。パン文化が更に広まり、パン屋の数も飛躍的に増えたといいます。

イタリア半島にルーツを持つローマ帝国。現在のイタリア・ナポリにあるポンペイ遺跡からは、麦を挽いていたと思われる石臼や、パン焼き窯も発掘されています

 

ポンペイ遺跡で発掘された臼とパン窯

 

また、キリスト教とともに製パン技術も広がっていきます。パンはイエスの肉ともいわれ、パン文化は教会からの保護を受けて重要視され、中世ヨーロッパにおいて誕生した新しい国々とともに、各国独自のパンも作られていきました。

 

 

日本国内にパン文化が伝わってきたのはいつ?

 

日本では、弥生時代にあたる3世紀。世界では古代ローマが覇を唱えていた時代になってようやく、小麦の栽培が行われました。弥生時代といえば、稲作が伝わり広まった時代ですから、当時にしてみたら凄まじい食文化の発展の時代には違いありませんが、ことパンにおいては時代の流れの中にさえ乗ることもなかった時代です。

その弥生時代の日本における小麦は、蒸したり焼いたりして食べられていました

 

発酵パンとして伝わってきたのは、1543年。ポルトガルからの鉄砲伝来とともに伝わりました。小麦が栽培され始めたとされる弥生時代から1000年以上も後になってからです。なお、「パン」の語源は、ポルトガル語のpaoといわれています

 

ただ、その頃のパンは、発酵パンといっても現在のようなふわふわの食感ではありませんでした。新しい文化を積極的に取り入れていた織田信長は、ワインと一緒にビスコート(ビスケット)といわれるパンを食べていたという文献が残されていることから、食感は比較的硬いものであったものと伺えます。

 

その戦国時代のさなかに伝わってきたパンですが、豊臣秀吉が実権を握っていた安土桃山時代において、1587年にバテレン追放令が出されキリスト教は弾圧を受けていくことになります。更に江戸幕府によって1633年から始まった鎖国により、パンが日本から消える事態にまで至りました。

 

 

日本で再びパンが焼かれた日

 

日本国内で再びパンが登場したのは、鎖国が行われてから約200年後。1840年から始まったアヘン戦争がきっかけでした。

 

イギリス軍が日本に攻め込んでくることを恐れた幕府は、軍備増強を図り、軍学者江川太郎左衛門英龍(えがわ たろうざえもん ひでたつ)に警備撃退の命を下すことになります。

 

その時の兵糧として、軽くて持ち運びしやすいパンを思いつき、1842年4月12日に初めて兵糧パンが焼きあがりました

 

江川太郎左衛門英龍像Guidoor Mediaより)

 

その後、鎖国が解かれ開国すると、西洋文化流入とともに、日本においてもパン文化が本格的に根付き始めました。そこから様々な進化を経て、今の私たちは美味しいパンを口にしています。

 

なお、江川太郎左衛門英龍によって初めてパンが焼きあがった4月12日は、現在においてパンの日と定められています。

 

 参考文献:パンの基礎知識 枻(えい)出版社